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デジタル郷土資料展

堺市立図書館
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手紙にみる伊東静雄

伊東静雄は、日本語の響きの華麗さと、思索の深さをあわせもつ独自の世界により、今なお多くのファンを持つ詩人です。その後半生は現在の堺市堺区・美原区に在住し、その風景をうたった多くの作品をのこしました。

伊東静雄没後70年にあたる令和5(2023)年、美原図書館で堺歴史文化市民講座「没後70年 詩人・伊東静雄と美原」を開催しました。

このコーナーでは、講座に合わせて展示した伊東静雄に宛てられた手紙の写真等を紹介します。伊東静雄と文壇の著名人との交流が伺えます。


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観光堺 堺行楽案内

堺市では、平成19年現在、世界文化登録遺産をめざしている大仙陵(仁徳陵)など多くの古墳が残されています。また明治・大正時代から戦前にかけては、大浜・浜寺には観光名所として多くの人が訪れました。

戦後は、大阪市のベッドタウンとして発展したため、堺の観光はPRされることが少なかったようですが、政令指定都市となって、改めて堺の観光が注目されています。

中央図書館では平成19年8月~9月に、1階ロビーにおいて、大浜・浜寺の絵はがきやパンフレット他、関連資料を展示し、また江戸時代から現代まで、観光地としての堺を紹介しました。これはそのときの同名の資料展を元にしています。


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資料でみる『ものづくり・堺』のあゆみ

『もののはじまりやなんでも堺』と『堺音頭』に唄われたように、堺の産業は、歴史的に先進性・個性・創造性をもった「オンリーワン」のものづくり技術に支えられました。

刃物・自転車・線香・・・これらは堺の伝統産業として、よく知られているところですが、明治・大正期には、酒や醤油等の醸造が盛んに行われていました。その中でも酒造は、当時の製造業生産高の第1位でした。

中央図書館では平成18年7月~8月に、1階ロビーにおいて現在では生産されていない堺の酒造りをはじめとする醸造や、堺の繊維・織物、刃物などの伝統産業を中心に「ものづくり・堺」にスポットライトを当てた展示を行いました。これはそのときの同名の資料展を元にしています。


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『堺大観』と明治の堺~堺に汽車が走っていた頃

『堺大観』は、明治時代後期に堺市の歴史編纂事業の際に作られた、今で言う堺市のガイドブックの元になった資料です。『堺大観』の写真編では、明治の堺の様子をうかがい知ることができます。また明治の堺では多数の著名な人物が輩出しましたが、その中でも今回は、河口慧海、村上浪六、食満南北を取り上げました。

河口慧海は、日本人で初めて鎖国下のチベットに仏教の経典を求め入国に成功しましたが、最近になってチベットを探検したときの自筆の日記が発見され、新聞・雑誌等で報道され世間の注目を浴びています(『河口慧海日記』)。また、村上浪六は明治時代、時代小説で大衆の人気を得、食満南北は、歌舞伎脚本を始め小説・川柳・書画など多くの作品を残しましたが、最近になって当館に関連の資料が多数寄贈されました。

中央図書館では、平成17年7月~8月、1階ロビーにおいて所蔵している明治期堺の関連資料を展示しました。これはそのときの同名の資料展を元にしています。


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絵図にみる堺と大和川付替え300年

昔、大和川は今の柏原市付近から大阪平野を北上し、淀川に合流して大阪湾に注いでいましたが、1704年、大和川は堺方向に付け替えられ現在のような流れとなりました。

平成16(2004)年は付け替えられて300周年にあたります。中央図書館では大和川付け替え300年をテーマに、平成16年7月~8月、中央図書館1階ロビーにおいて所蔵している大和川関連の絵図や資料を展示しました。これはそのときの同名の資料展を元にしています。


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旧堺燈台 -大浜のきのう・きょう・あす-

国の指定史跡である旧堺燈台は、平成15年10月から平成18年3月まで、保存修理工事が行われていました。

これを機に、旧堺燈台とベイエリア・大浜の今昔をテーマに、平成15年7月~8月、中央図書館1階ロビーにおいて、当館所蔵の資料などを展示しました。これはそのときの同名の資料展を元にしています。


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むかしの堺港と大浜

堺市立中央図書館の郷土資料として所蔵している、江戸時代の堺港の古絵図、戦前に保養地として賑わった大浜、堺旧港に関する資料の一部をご紹介します。

なおこの資料展は、西暦2000年世界民族芸能祭(ワッショイ!2000)が、堺旧港(地球村ベイ)を主会場のひとつとして開催されたのにちなんで、平成12年7月~8月に本館1階ロビーにおいて開催された、同名の資料展を元にしています。


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展示資料の中には、差別的な呼称や表現を含むものがありますが、その時代を理解するための歴史的用語として、そのまま掲載しています。