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アメリカのペリーが黒船4隻をひきいて、浦賀に来航して幕府に開港をせまった翌年の安政元年(1854)、ロシアのプチャーチン提督のディアナ号が、大阪湾に入り、堺から見える天保山沖に停泊しました。
このため、幕府は大阪湾岸に「御台場(おだいば)」、すなわち砲台をにわかに築くことになりました。堺港においても、この年、南台場を急造し、翌安政2年には北台場を建設しました。この南台場は、元治元年(1864)には桔梗(ききょう)型の西洋式砲台に大改造され、大砲18門を備えました。
明治維新後まもなく、堺港に隣接する戎島(えびすしま)には薩摩藩により紡績所が設立されました。わが国の工業化を急務とした明治政府は、明治5年(1872)にはこれを官営模範工場として買収しました。
明治10年(1877)には、港の入口に近代的な洋式灯台が築造されました。今も残る美しい六角型の姿は、現在、国の指定史跡として、市民に親しまれています。
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