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村上浪六は現在の堺区材木町東に生まれました。本名は信(まこと)。明治24年故郷堺にちなんだペンネームちぬの浦浪六≠フ名で小説『三日月』を発表し一躍人気作家となりました。以来昭和十年代まで百数十篇にのぼる小説を執筆し、当時の大衆文学の中で不動の位置を占めました。浪六の小説は江戸時代の町奴を主人公にした作品が多いため、その髪型から「撥鬢(ばちびん)小説」と称されました。


『三日月』村上浪六・著 明治24年(1891年) 春陽堂
画像:『三日月』村上浪六・著
東京の郵便報知新聞に校正係として入社した浪六が、明治24年(1891年)たまたま執筆したこの『三日月』が大当たりして、文壇にデビューしました。故郷堺にちなんだペンネーム“ちぬの浦浪六”の名は、当初幸田露伴か尾崎紅葉の変名ではないかといわれました。江戸時代・享保の頃の時代小説で、主人公の町奴・三日月こと次郎吉の頭髪が、三味線の撥の形に剃った髪型なので、浪六の小説は「撥鬢(ばちびん)小説」といわれました。
「三日月」は「大衆文学大系 3」(講談社)「村上浪六歴史小説選」(本の友社)でお読みいただけます。

『当世五人男』村上浪六・著 明治29年(1896年) 青木嵩山堂
画像:『当世五人男』村上浪六・著
明治29年(1896年)、前・後編に分かれた中編小説で、作者自身とみられる川上三吉や倉橋幸三、黒田健次、上田力、吉田雄蔵という五人の書生の共同生活を、風刺に富む会話を通じて浪六自身の人生哲学を述べた作品です。

『川上音吉』『倉橋幸三』『黒田健次』『上田力』『吉田雄蔵』村上浪六・著
 青木嵩山堂(『吉田雄蔵』は、春陽堂)
画像:『川上音吉』『倉橋幸三』『黒田健次』『上田力』『吉田雄蔵』村上浪六・著
『当世五人男』に出てくる川上三吉や倉橋幸三、黒田健次、上田力、吉田雄蔵という五人の書生が、それぞれ主人公になった小説です。

『奴の小万』村上浪六・著 明治25年(1892年) 春陽堂
画像:『奴の小万』村上浪六・著
大阪の資産家の娘として生まれた於雪は、父の放蕩から母は入水、自らも知り合いに引き取られますが、艱難辛苦にあえぎます。落ちぶれ果てた父との再会を果たしたのち、大名の計らいで於雪は小万と名乗って茶屋を開きますが、父を落とし込んだ女性が現れ、父が殺害されます。そこで、小万は女の一味の男たちを倒し仇を討ちます。
「奴の小万」は「明治文学全集89」(筑摩書房)村上浪六歴史小説選」(本の友社)でお読みいただけます。

「村上浪六生家跡付近」
村上浪六の生家は、現在の堺区材木町東4丁にありました。3歳のときに父を失い、母によって育てられました。たびたび小学校を転校しましたが、成績はとても優秀でした。後に堺県令(知事)の税所篤の紹介で東京へ行くことになりました。
(「村上浪六『いたずらもの』」渡邊巳三郎 『小田切秀雄先生退職記念「論集・1986」』)
写真:村上浪六生家跡付近