図書館トップページ> 地域資料のページ> デジタル郷土資料展目次> 古地図に見る大和川 |
付け替え前の大和川は、現在の柏原市付近で石川と合流後、北または北西に枝分かれして、八尾・東大阪・大東市を横切り、大阪城の北で淀川と合流していました。
付け替え後間もない頃から、大和川は堺の絵図に描かれてきました。現在、大和川は大阪市との境界になっていますが、明治に入るまで摂津と和泉の国境は、堺の大小路でした。明治4年(1871)7月、当時の堺県が国境を大和川に定め、そのまま現在にいたっています。
上記「遠里小野村大絵図」より西側の絵図です。
住吉神社の領地が川で分断される様子がわかります。
大和川の付け替え前は、住吉神社と堺が地続きであったため、住吉神社は堺の人々の信仰を集めました。
(※この絵図は図面の北を上にしています)