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旧堺燈台の今日と明日

昭和34年(1959)からはじまった臨海工業地帯の造成により海岸が埋め立てられ、旧堺燈台は大阪湾航行の船から次第に見えなくなっていきました。そして昭和43年に廃灯となり、その役割を終えました。その後、国の史跡指定を受け、文化財として保存されています。

今も、旧堺燈台は多くの市民に、堺の町のシンボルとしてイメージされ、さまざまなところでデザインとして利用されています。

あなたも、まわりにある「旧堺燈台」を探してみませんか?


「堺燈台もなか」の型 平成9年(1997)
「堺燈台もなか」の型
堺燈台もなか

平成9年(1997)に開催された「なみはや国体」にあたり、堺の生菓子製造業者14社(当時)で構成する「堺郷土菓子開発友の会」が、堺にふさわしい土産物として開発したのが「堺燈台もなか」である。


ペーパーウエイト
ペーパーウエイト1
ペーパーウエイト2

ステンレス鋳造の(株)成和製造所が、昔の堺の鉄砲鍛冶の伝統を受け継ぎ、「勘左ヱ門鋳物」として製作したもの。


デザインとして利用された旧堺燈台

旧堺燈台は、堺の町のシンボルとして、さまざまな印刷物などに、イメージがデザイン利用されています。

マンホール
デザインとして利用された旧堺燈台(マンホール)
電話ボックス
デザインとして利用された旧堺燈台(電話ボックス)
時計台
デザインとして利用された旧堺燈台(時計台)

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