
わがひとに與ふる歌、昨日
拝受致しました。新し
き島崎藤村の詩を、若き
日に再度よむ思ひです。コ
ギトに紹介をかねて批
評かきたく思ってゐます。
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京都帝国大学(現京都大学)を卒業した伊東静雄は、大阪府立住吉中学(現大阪府立住吉高校)で教鞭をとります。また、堺高等女学校の地理教諭・山本花子と結婚したのもこの頃です。第一詩集「わがひとに與ふる哀歌」を出版しています。
わがひとに與ふる歌、昨日
拝受致しました。新し
き島崎藤村の詩を、若き
日に再度よむ思ひです。コ
ギトに紹介をかねて批
評かきたく思ってゐます。
伊東静雄は、その作品が萩原朔太郎の目にとまり、激賞されたことで、詩人としての地歩を固めました。
朔太郎からの書簡は5通ほどありますが、これは一番最初の書簡です。
先日萩原氏にあったところ、あなたの
詩集の出版記念会をせよとの
話ゆゑ、実はこちらもしたく、日をき
めて上京されないか、そのときは、少く
とも十日まへに、しらせられたく願います。
こちらの日どりはいつにてもよろしくあり
ます。それからコギトの一月号に誌上
で数人の人に短文かいてもらひます。知り
人に数枚のものかゝされたし。
昭和10年、静雄の第一詩集『わがひとに与ふる哀歌』の出版記念会が東京新宿で行われました。発起人の萩原朔太郎をはじめ、室生犀星から立原道造にいたる多くの詩人が集いました。
冠省
御詩集難有拝受
致しました
先は右取敢えず御礼迄
匆々
出版記念会の出席者の一人に中原中也がいました。中也は散会後、静雄を誘い自宅に泊めています。なお静雄は、前年に出版された中也の第一詩集「山羊の歌」の数少ない予約購入者でした。