堺市 図書館トップページ地域資料のページデジタル郷土資料展目次手紙にみる伊東静雄> 大阪市時代 
戻る

京都帝国大学(現京都大学)を卒業した伊東静雄は、大阪府立住吉中学(現大阪府立住吉高校)で教鞭をとります。また、堺高等女学校の地理教諭・山本花子と結婚したのもこの頃です。第一詩集「わがひとに與ふる哀歌」を出版しています。

萩原 朔太郎
(1886-1942)
詩人
画像:萩原朔太郎自筆はがき

わがひとに與ふる歌、昨日
拝受致しました。新し
き島崎藤村の詩を、若き
日に再度よむ思ひです。コ
ギトに紹介をかねて批
評かきたく思ってゐます。

伊東静雄は、その作品が萩原朔太郎の目にとまり、激賞されたことで、詩人としての地歩を固めました。

朔太郎からの書簡は5通ほどありますが、これは一番最初の書簡です。

保田 與重郎
(1910-1981)
文芸評論家
画像:保田與重郎自筆はがき

先日萩原氏にあったところ、あなたの
詩集の出版記念会をせよとの
話ゆゑ、はこちらもしたく、日をき
めて上京されないか、そのときは、少く
とも十日まへに、しらせられたく願います。
こちらの日どりはいつにてもよろしくあり
ます。それからコギトの一月号に誌上
で数人の人に短文かいてもらひます。知り
人に数枚のものかゝされたし。

昭和10年、静雄の第一詩集『わがひとに与ふる哀歌』の出版記念会が東京新宿で行われました。発起人の萩原朔太郎をはじめ、室生犀星から立原道造にいたる多くの詩人が集いました。

中原 中也
(1907-1937)
詩人
画像:中原中也自筆はがき

冠省
御詩集難有拝受
致しました
先は右取敢えず御礼迄
       匆々

出版記念会の出席者の一人に中原中也がいました。中也は散会後、静雄を誘い自宅に泊めています。なお静雄は、前年に出版された中也の第一詩集「山羊の歌」の数少ない予約購入者でした。