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長女のまきが産まれた後、花子夫人は美原区の黒山実践女学校(大阪府立登美丘高校の前身)に勤め始めたため、通勤がしやすい堺市に一家で転居します。第二詩集「夏花」、第三詩集「春のいそぎ」を出版し、ますます詩作に力が入りますが、戦争で自宅を焼失するなど、大変な時期でもありました。

高村 光太郎
(1883-1956)
詩人・彫刻家
画像:高村光太郎自筆はがき

拝啓
御著詩集“夏花”拝受
忝く存じました。
読みたいと思ってゐたところなの
でまことにありがたく存じました。
書物もよく整った美しさを持つて
ゐてこよなき詩集と思はれまし
た。精読をたのしみにおもひま
すがとりあへず御禮まで 草〃

静雄は『わがひと~』に引き続き、『夏花』も高村光太郎に寄贈しています。「読みたいと思っていた」、「こよなき詩集」などの大家の言葉に、きっと静雄も喜んだに違いありません。

画像:新聞スクラップ
三越映画脚本第一等受賞の新聞記事
(1928年)
画像:集合写真の前から3列目右から6番目に伊東の姿がある
府立住吉中学集合写真
(1930年代)
画像:椅子に腰かけやや左を向く伊東静雄
静雄肖像写真
(1930年代)
画像:浴衣で胡坐の上に息子を乗せる伊東静雄
長男 夏樹(なつき)との家族写真
(1940年代)