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明治21年(1888)、堺の吾妻橋駅(現在の南海本線・堺駅)に鉄道が開通しました。駅を起点に人力車が堺市内を見物に回ったようです。(『八木摩天郎遺稿集』より)
明治の後半には、高野鉄道(南海高野線)や阪堺電気軌道が開通し、明治36年(1903)の第五回内国勧業博覧会で大浜に東洋一の水族館が完成しました。
明治28年(1895)中井芳瀧(恒次郎)[1841-1899]の作です。芳瀧は、役者絵や風景画(『浪花百景』等)を描いた最後の上方浮世絵師といわれた大阪の絵師で、晩年は堺に住んでいました。
神社仏閣の他、開通したばかりの吾妻橋駅(現在の南海本線・堺駅)や名産品が描かれ、西洋を意識してか、図版にはローマ字でも地名が書かれています。
明治36年(1903)に大阪で発行されました。この年は、内国勧業博覧会が大阪(堺の大浜も第2会場として水族館が建てられました)で開催されました。堺でも『堺市案内記』が出版されています。
『堺市案内記』については、詳しくは当デジタル郷土資料展「『堺大観』と明治の堺」をご覧ください。
『浪花土産阪堺名所図会』の名で、明治36年(1903)1月20日発行とあります。
大阪や堺の当時の観光地が多数描かれ、堺では大浜公園、仁徳天皇陵、妙国寺、南宗寺などに多くの人が訪れていたようです。
堺では、古来より漁業が盛んで、江戸時代、桜鯛は堺一の名物といわれていました。
ところで7月31日は、大浜公園で恒例の大魚夜市が開かれます。鎌倉時代に作られた魚座が「夜市」の起源といわれ、住吉大社は、海や漁業の神様として堺の漁民から信仰されていました。住吉大社の大祭の日に合わせ、毎年この日に行われます。また夜市では、タコを主に売っており、柳之町西3丁には、「たこ市場跡」の碑が立っています。
大正から昭和の戦前頃のパンフレットは、南紀の観光案内のほか、沿線のスキー場や狩猟場が紹介されています。特に狩猟ができる場所として、高野線の堺東附近も紹介されていて、時代の大きな変化を感じます。