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大正12(1923)年9月の関東大震災で多くの歴史資料が失われました。このことに危機感を持った堺市当局は、資料の収集、編纂を開始しようと考えました。しかし政府においては震災後、一般行政事務の緊縮に努める情勢となったため、すぐに市史編纂事業について市会に提案を出すことはできませんでした。

大正13(1924)年、当時東宮であった昭和天皇の御成婚により、その記念事業として同年1月に斎藤研一市長は市会に上程、可決を経て市史編纂部を設置しました。

堺市史編纂部員の写真には、『堺市史』監修者である京都帝国大学教授の三浦周行が前列中央に座り、右側に初代編纂長の中村喜代三、左側に二代目編纂長の牧野信之助が座っています。

写真:堺市立中央図書館所蔵『堺大観』第2冊
「堺市史編纂部員」(『堺市史史料写真編』より)

三浦周行は明治42(1909)年から堺港に関する論文を雑誌『歴史地理』に発表していました。その論文を1冊にまとめた『堺港之研究』は、市民に広く読んでもらうため、大正2(1913)年に堺市役所から出版され、市民に頒布されました。


また、市民の市史編纂事業に対する理解とより多くの資料を収集するため、大正13(1924)年に開口神社等で堺市史資料展覧会を開き、堺高等女学校で新村出や三浦周行の講演会が行われました。

写真:堺市史資料展覧会記念絵葉書1 写真:堺市史資料展覧会記念絵葉書2 写真:堺市史資料展覧会記念絵葉書3 写真:堺市史資料展覧会記念絵葉書4 写真:堺市史資料展覧会記念絵葉書5
堺市史資料展覧会記念絵葉書

写真:『堺市史資料展覧会出品目録』
『堺市史資料展覧会出品目録』
写真:『堺市史講演集』
『堺市史講演集』