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土砂の堆積と港の変貌

大和川によって運ばれてくる土砂によって、河口が埋まり、それまでの堺の港の形は大きく変貌しました。 また土砂によって埋められた土地は新田として開発されていきました。


堺湊土砂埋没状況図(写)享保年間(1716-36)
写真:堺湊土砂埋没状況図(写)
付け替え後しばらくしてからの港の絵図ですが、土砂によって港が埋まっていく様子が描かれています。


堺浦波戸再堀絵図(写) 寛政2年(1790)
写真:堺浦波戸再堀絵図(写)

寛政4年(1792)江戸の商人・吉川俵右衛門は、当時土砂に埋もれた堺の港を再興しました。

このときつくられた港が現在の堺旧港の原型になっています。



大和川寄洲取払絵図(写) 天保13-弘化3年(1842-46)
写真:大和川寄洲取払絵図(写)

大和川によって運ばれてくる土砂は、河口付近で洲となり船の運航の障害になりました。

洲は数年に分けて順次取り払われていきました。



大和川洪水絵図(写) 慶応4年(1868)
写真:大和川洪水絵図(写)

明治元年(1868)5月の大和川洪水の絵図です。

当時の記録に「大和川尻の堤防六十間許切れ、安立町七・八・九丁の人家押流されたり。大和橋の下は一水もなく皆安立町の方へ流れ、一面海の如く其後は船にて瓜のへ渡り上街道を大阪に行也」とあります。(『住吉区誌』)



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