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明治36年(1903)、第5回内国勧業博覧会が閉幕したあと、堺市は水族館の払い下げを受け、あらためて市営の「堺水族館」としてオープンさせました。堺水族館はその当時としては最高水準の施設内容を誇り、自然観察・生物教育・水産奨励のためのすぐれた文化施設として声価も高く、市内外から多くの来館者を迎えました。
しかし、昭和9年(1934)の室戸台風による高潮におそわれ水族館は大破、さらに修繕中に火事にみまわれ全焼してしまいました。再建は多くの困難を乗り越え、昭和12年に実現し、「東洋一」のキャッチフレーズで、以前をこえる人気を博しました。
第二次大戦後、昭和28年には水族館の大規模な改装を行い、かつてのにぎわいを取り戻しましたが、臨海工業地帯造成により、大浜海岸がなくなると次第に客足は遠のき、昭和36年に水族館は閉鎖されました。
なお、開設時から水族館の守護神として「乙姫さま」の名で市民に親しまれてきた龍神像は、高村光雲とならび近代彫刻史上に名を留める竹内久一(たけのうちひさかず)の作によります。「ワッショイ!2000」にあわせ堺旧港北波止突堤に建てられた「龍女神像(りゅうじょしんぞう)」はこれを再現したものです。
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