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大和川の付け替えは、洪水の被害に悩まされた農民の度重なる嘆願と、川の改修に尽くしたものの洪水がどうにも治まらない結果、ついに江戸幕府が行った大規模な公共工事です。
工事は元禄17年(1704年)2月から、その年の宝永元年(1704年途中改元あり)の10月までのおよそ8ヶ月間で行われました。工事区間を数箇所に分けて、いくつかの大名に工事を請け負い競わせたり、川を掘るのではなく堤を築いて川を作って行く工法によって工事は早く終わることができました。
いずれも明治時代の大和川の写真です。中央の写真では木製の大和橋の上を大八車が通っています。また右奥には南海鉄道(現在の南海本線)のSLが走っています。(『堺大観写真資料』)
大和橋は、現在も旧紀州街道筋に架かっています。大和橋は大正5年(1916)に鉄橋に変わり、昭和16年の架け替えを経て、昭和49年に現在の橋に架け替えられました。
写真1は、堺市から大阪市方向、写真2は、大阪市側にある「大和橋の碑」、写真3は、大阪市から堺市方向を撮ったもので、現在は、南行きの一方通行になっています。