図書館トップページ> 地域資料のページ> デジタル郷土資料展目次> 江戸時代の堺港のうつりかわり |
宝永元年(1704)の大和川の付け替え以来、堺港は土砂がたまり、たびたびしゅんせつを繰り返しましたが、入港船は堺を避け、次第に堺港は衰退していきました。しかし、これを見かねた江戸の商人吉川俵右衛門は、堺商人の協力もとりつけて、寛政初年(1790)頃に修築を着工しました。
その後多くの苦難を乗り越え、文化7年(1810)までのおよそ20年がかりで工事は完成し、現在の堺旧港の原型がつくられ、港はふたたび繁栄しました。港湾開発により「新地」ができ、周辺の市街地化も進んでいきました。
「泉州堺港新地繁栄之図」は、天保期(1836年頃)の港の様子で、灯明台(和式灯台)、みおつくし(大阪市の市章になったもの)、舟役所などの港湾施設のほか茶屋などが立ち並び、当時の賑わいをよく表わしています。
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