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堺市の市史としてはじめて世に出たのは、昭和4(1929)年から6(1931)年にかけて刊行された『堺市史』ですが、それに先立ち、明治時代末期に『堺史』の編纂が企画されました。これは明治34(1901)年の『大阪市史』編纂開始に刺激されたもので、堺市においても同年に開始されました。

編纂にあたっては、既存の資料からの抜粋や調査等によって、まず資料集を作成し、それを用いて表のような構成とすることが計画されていました。

しかし明治36(1903)年、編纂費の削除により事業は頓挫してしまいました。遺された資料は堺市役所で保管されましたが、のちに堺市史編纂部に引き継がれ、現在は中央図書館が所蔵しています。

計画されていた『堺史』の構成


堺史料類纂

写真:『堺史料類纂』
『堺史料類纂』

遺された資料の中でも特徴的なものとして『堺史料類纂』があります。これは『堺史』編纂の第1段階として企画された資料集であると考えられています。9つの部門別資料集と市議会録、拾遺の計59冊からなる筆耕資料です。

のちの『堺市史』編纂事業では、遺されたこの『堺史料類纂』の整理から着手されました。整理の跡として、見出し等に『堺市史』編纂時の用紙が見られます。

なお堺市立図書館では『堺史料類纂』の目次を作成し、『堺史料類纂総目次』として公開しています。PDF版もご覧いただけます。


堺大観

写真:『堺大観』
『堺大観』

遺された資料のうちもう一つ特徴的なものとして『堺大観』があります。

『堺史』編纂が開始された明治34(1901)年は、2年後に堺市の大浜公園を第2会場とする第五回内国勧業博覧会が控えていました。それに合わせ、第五回内国勧業博覧会堺協賛会は堺市の案内記を出版することを考え、『堺史』編纂業務を担う堺史編纂掛にその編纂を依嘱しました。堺史編纂掛は『堺史』を完成させることはできませんでしたが、その案内記は完成させることができました。これが『堺大観』です。

『堺大観』は全7冊からなる、いわゆる地誌に相当する資料で、多数の写真が貼りこめられた豪勢なものでした。しかし、この『堺大観』も経費の関係からそれ自体は出版されず、要約版が明治36(1903)年に出版されたのみでした。『堺大観』の原稿は『堺史料類纂』とともに堺市史編纂部に受け継がれ、現在、中央図書館が所蔵しています。


『堺大観』の構成
  1. 第1冊
    地理、気候風土、人情及風俗、商工業、物産、沿革
  2. 第2冊
    名勝旧跡(古の堺港、戎島、新地、堺港及大浜)
  3. 第3冊
    名勝旧跡(南荘西部)
  4. 第4冊
    名勝旧跡(南荘東部)
  5. 第5冊
    名勝旧跡(北荘西部)
  6. 第6冊
    名勝旧跡(北荘東部)
  7. 第7冊
    附近郊外名勝旧跡

『堺大観』に貼付された写真は、スキャンしたデジタル画像を堺市立図書館デジタルアーカイブよりご覧いただけます。

また当館で活動する市民団体・堺メモリー倶楽部が、『堺大観』の写真の地点を現在と比較した『『堺大観』写真集』を作成しました。電子版もご覧いただけます。

写真:『堺大観』
堺市立中央図書館所蔵
『堺大観』第2冊

中央図書館の所蔵する『堺大観』には和装と洋装の2セットが存在します。主に和装が清書本、洋装が草稿本となっています。

ただし第1冊は清書本と草稿本が入れ違いになっています。これは第1冊清書本前半が一時行方不明になっていたため、代わりに草稿本を用いて清書本のセットを補ったためと考えられています。行方不明となったのは『堺史』編纂事業頓挫後数年の内と思われますが、半世紀後、昭和24(1949)年に古書店で発見され、中央図書館の所蔵するところとなりました。

また、和装・洋装の両セットともに第2冊も行方不明となっており、こちらは現在に至るまで発見されていません。幸いなことに京都帝国大学国史研究室が転写本を所蔵していたため、のちの『堺市史』編纂時にそれを写して補われましたが、国史研究室本には全冊を通し写されていない箇所が多々見られることから、補われた第2冊が原本通りの姿であるかは分かりません。


その他の遺された資料

その他、『堺史』編纂事業に関係すると考えられるものとして、次の資料があります。

『堺史(堺大観)編纂関係書類』
写真:『堺史(堺大観)編纂関係書類』

編纂事業の覚書や、掛員の任命に関する書類、予算決議、領収書などをひとまとめに綴った資料です。『堺史料類纂』拾遺11の『堺史編纂関係書類』とともに、『堺史』『堺大観』編纂時の様子を窺うことができます。


『堺法令類聚』『続堺法令類聚』

明治維新期から明治30年代までの通達など行政文書類を集めた史料です。

『堺法令類聚』(全39冊)は転写本ですが、『続堺法令類聚』(全25冊)は基本的に原文書を綴っています。


『堺神社記録』『堺寺院記録』

この史料は『堺史』編纂のために神社仏閣へ質問した際の、神社仏閣からの返答書類を綴ったものと考えられています。

その際の質問状と考えられるものが『堺史編纂関係書類』の「社寺調査要領」(文字起こしテキスト版)として遺されています。