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堺と醤油

写真:河又醤油(堺市商工案内より)

堺での醤油の生産は、江戸時代の初めの俳集『毛吹草(けふきぐさ)』(寛永15年・1638)に諸国から出る名産として、堺南組の醤油溜りが出ています。江戸時代の百科事典といわれる『和漢三才図会』(正徳2年・1712)にも名物の味噌に泉州・堺の醤油溜りがあげられ、江戸時代には醤油の生産が盛んだったことがうかがえます。

明治になって、河盛又三郎の河又醤油が醸造試験所を設け、醤油生産に優良な麹菌を発見しました。この麹菌は、河又菌と称され工場での大量生産が可能になりました。大量生産できた醤油は、海外にも販路を拡げました。

写真:河又醤油(住吉・堺豪商案内記よる)

写真:『キッコーサカイ』『雨風醤油』の暖簾
『雨風醤油』(高石市加茂)
明治の豊田熊治郎商店の流れを受け継いで、戦前までは、少林寺町東2丁にありました。現在、醤油の加工は、西区津久野町で行われています。
『キッコーサカイ』
野田醤油(現・キッコーマン)は、地元神社の亀甲紋を商品のマークにしましたが、雨風醤油の商品名は、「キッコーサカイ」です。河又醤油(現・大醤)は、「ヤママタ」「キッコーマタ」という商品名でした。

醤油麹製造帳・醤油桶甕類容量調査 (綿谷小雛文書)明治21年(1888)
写真:醤油麹製造帳・醤油桶甕類容量調査(綿谷小雛文書) (拡大図)
綿谷小雛(わたやこひな)は、明治期に堺市南半町大道において醤油製造業を営んでいました。小規模で近世以来の在来的な生産を行っていたとみられます。近世・近代、堺では醤油製造業が盛んでしたが、個別経営については、いち早く近代化を進めた河盛又三郎(河又)以外はほとんど判明していません。当館所蔵の本文書群は、点数はわずかですが、醤油製造経営の一端を知ることができる貴重な史料です。

諸願届式扣簿 第弐号 (綿谷小雛文書)
各国の在外領事が「本邦産醤油の外国に於ける嗜好及消費の目的其の他の状況」を調査した報告を、明治37年(1904)4月に堺税務署が堺市醤油醸造同業組長の河盛又三郎に宛てて送付したものの控えです。その後、大正期に入り、醤油は堺市の主要輸出品の仲間入りをしています。
写真:諸願届式扣簿 第弐号(見開き) (拡大図)
写真:諸願届式扣簿 第弐号(表紙) (拡大図)

醤油直段(ねだん)書 (綿谷小雛文書)
写真:醤油直段(ねだん)書 (拡大図)
醤油は明治初めより大正末まで「醤油税」が課せられ、税務署の監督を受けて価格も同業組合により統制されていたようです。本文書に残る「直段書」は、大正8年(1919)末から翌9年のものが綴られており、この時期、ひんぱんに価格改定が行われています。第一次世界大戦後の不景気、デフレを反映して不安定な経済情勢がみてとれます。