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堺の町は大坂夏の陣で元和元年(1615)に豊臣軍によって焼きつくされましたが、徳川幕府の地割奉行である風間六右衛門により新たに町づくりが行われ、碁盤の目状に美しく整備され、環濠も新しく掘りなおされました。これを「元和の町割り」といいます。
この絵は文久3年(1863)に描かれたものなので、元和の町割りから250年ほど経っていますが、町の基本構造は変わっておらず、近世の堺の姿をよく伝えるとされています。