戦時の堺
昭和12年(1937)、日中戦争が始まりました。これを機に日本は一気に戦時色が高まり、堺市にも市政・市民ともに戦争支持の気運がまきおこりました。
日中戦争が続くなか、昭和16年(1941)には太平洋戦争が始まり、日本は多方面戦争に突入しました。この頃にはお米が配給制になるなど、市民生活は厳しいものとなっていました。
戦地への慰問
昭和13年(1938)、堺商工会議所と堺市職員により、戦地への視察団が結成されました。堺市産業界のアジアへの進出を主な目的としたものでしたが、派兵された堺市民を訪問しねぎらう、慰問も行われました。
その後、視察団は昭和15年(1940)まで派遣され、計5回に渡りました。
視察団の記録誌
『堺市北支産業視察団記録写真帳』より
慰問雑誌の発行
戦地の堺市民を労わるための雑誌、慰問雑誌も発行されました。
執筆は堺芸術報国連盟に委嘱され、堺市職員でもあった詩人・安西冬衛が編集しました。
内容は堺市に残る人々から戦地の人々への励ましに留まらず、詩歌や随筆、堺市の昔話など多岐に渡りました。
当館所蔵の慰問雑誌(6種)
堺芸術報国連盟
戦時には国に報いることを掲げた様々な団体が設立されました。
堺芸術報国連盟もその一つで、堺・泉北の芸術・文学家が集まり、昭和16年(1941)に発足しました。堺市立図書館長の田島清が理事長を務め、詩人・安西冬衛、俳人・大野翠峰、彫刻家・岩田千虎、画家・岸谷勢蔵など、錚々たる顔ぶれが参加しました。
堺芸術報国連盟会員による書画帖『堺芸術連盟帖』