経済低迷と忍びよる戦争
第1次世界大戦後の大正9年(1920)より日本は戦後不況に陥っていましたが、昭和2年(1927)、東京渡辺銀行が経営破綻したとの誤報により取り付け騒ぎが起こり、昭和金融恐慌が発生しました。さらにその後昭和4年(1929)にはアメリカの株価大暴落による世界恐慌が発生し、昭和恐慌へと陥りました。
こうした経済危機のなか、日本の戦争への機運が高まっていきました。
土佐十一烈士の顕彰
慶応4年(1868)、堺へ上陸したフランス将兵を、堺を警護していた土佐藩士が殺傷するという堺事件が起こりました。これにかかわった土佐藩士11名(土佐十一烈士と呼ばれる)が妙国寺にて切腹し、隣の宝珠院に埋葬されました。
国家主義の風潮が高まる昭和前期、この土佐十一烈士を顕彰する運動が行われ、昭和13年(1938)には宝珠院境内の墓碑が国の史跡に指定されました。
土佐十一烈士を顕彰する図書
『土佐烈士殉難賜死實録』
『噫真個の武士日本魂』
『明治元年土佐藩士泉州堺烈挙』
富民協会と農業博物館
経済の低迷は農業にも影響を与え、特に昭和5年(1930)の昭和農業恐慌では、豊作にもかかわらず困窮する農家の人々が出てくるほどでした。そんななか、大阪毎日新聞社社長の本山彦一が設立した富民協会では、農家の経済状況改善のため、農業知識の普及を図りました。
また昭和7年(1932)には浜寺公園内(高石市側)に農業博物館を設立し、さらにその事業を推進させました。
『財団法人富民協会十年史』より
『財団法人富民協会十年史』より
『建てよ尊徳先生の立像を!/富民協会とはどんな団体か』裏面
金岡村の駐屯地
昭和7年(1932)、大阪市から金岡村(昭和13年(1938)に堺市へ編入)に騎兵第4連隊の兵舎が移転しました。翌昭和8年(1933)には輜重兵(しちょうへい)第4大隊の兵舎も建てられ、一大駐屯地となりました。
駐屯地は戦後、連合国軍に接収され、現在では金岡公園等になっています。
『大阪毎日新聞』昭和7年(1932)2月2日より