回答
「国史大辞典 2」p.259「えごうしゅう 会合衆」の項目の10人を回答。
調査のあしあと
「堺の歴史」(角川書店)P.92で、
「これまでは、会合衆は16世紀には36人になったと考え、色々と説明が試みられてきたが、無理があるように思われる。会合衆は終始10人であったと思われる」と述べている。
また、「会合衆」のよみ方は、「堺」(至文堂)で「えごうしゅう」と読むのが正しいとされてきたが、その後、「中世都市共同体の研究」p.100で諸史料から「かいごうしゅう」と読むのが正しいとされ、高校日本史教科書でも「かいごうしゅう(えごうしゅう)」の読みが採用されている。
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