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1902年頃と2012年の写真

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1902年頃の写真 2012年の写真
撮影月日:2012年11月20日
撮影場所:堺市堺区北三国ヶ丘町
百舌鳥耳原北陵正面を撮影

『堺大観』第7巻、p.126-127、上記写真はp.135-136間に掲載、明治35年前後

百舌鳥耳原北陵(反正帝御陵)について

百舌鳥耳原北陵(もずのみみはらのきたのみささぎ)(反正(はんぜい)帝御陵)は、田出井(たでい)山陵とも言う。5世紀後半の築造(墳丘の形態や出土埴輪等から判断)。百舌鳥古墳群の中では7番目の大きさ(墳丘長148m)の前方後円墳で北端に位置し、反正天皇の御陵と伝えられ宮内庁が管理している。主体部の構造や副葬品は不明だが、前方部外周での調査の結果、少なくとも前方部にはかつて二重濠があったことが確認されている。陪塚(ばいちょう)が2つ(鈴山古墳、天王古墳)と推定されている。


参考文献

『堺市史』第7巻,p.830-832
『堺の文化財‐百舌鳥古墳群』、堺市教育委員会編、1999年
『伝仁徳陵と百舌鳥古墳群』、中井正弘、摂河泉文庫、1981年
『天皇陵古墳への招待』、森浩一、筑摩書房、2011年
『歴史のなかの天皇陵』、高木博志編、思文閣出版、2010年
『百舌鳥古墳群』、堺市立陵南中学校郷土部、1993年