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明治5年(1872)村社となり、翌年郷社に列することになる。明治40年の時点で、境内は1,228坪あった。社殿は堺大空襲で全焼。現在の本殿は昭和20年(1945)の復興時に新築され、拝殿・幣殿(へいでん)は和泉市の男乃宇刀(おのうと)神社から移築された。中央の鳥居は、社務所等の改修時(平成15年)に老朽化のため撤去。写真左手の常夜灯は右手の常夜灯から南西約10メートル、また鳥居の右手に見える「三国丘」の石碑は右手の常夜灯から北西約20メートルのところに移された。
『堺市史』第7巻,p.538-540
『堺市史』続編第2巻,p.1106
『大阪府神社名鑑』、大阪府神道青年会、1971年、p.136
『方違神社 研究と史料』、植垣節也、皇学館大学出版部、1978年、p.1-12,p.53-59,p.190-191
『大阪府神社史資料』下巻、大阪府、1986年、p.46-58
『大阪府の地名』2、平凡社、1986年、p.1301
『地名あれこれ 堺の歴史探索』、堺商工会議所、1999年