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乳岡古墳は百舌鳥古墳群の形成初期の4世紀後半、同古墳群中最も海に近い所に築造された前方後円墳である。「茅岡」とも書いた古書がある。元禄16年(1703)には石津太(いわつた)神社の神宮寺・念佛寺の観音堂が墳頂に移されていて、「お山の寺」と呼ばれていた。昭和初期に前方部の大部分が削られ、その後住宅地となっていった。念佛寺は、昭和55年(1980)に現在の西区浜寺石津町東3丁に移転した。
『堺市史』続編第1巻,p.79
『堺市史』続編第3巻,p.970-971
『和泉名所図会』巻之二、秋里籬嶌、寛政7年(1795年)
『大阪府史蹟名勝天然記念物』第4冊、大阪府学務部編、1929年
『百舌鳥古墳群の調査』3、堺市教育委員会、2010年