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1902年頃と2014年の写真

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1902年頃の写真 2014年の写真
撮影月日:2014年3月4日
撮影場所:堺市堺区戎之町東2丁1
現在の菅原神社本殿裏手より、南西に向かい当時本殿があったとされる薬租神社付近を撮影

『堺大観』第6巻、p.103-110、上記写真はp.110-111間に掲載、明治35年前後

菅原神社本殿について

天文元年(1532)の火災で神社は全焼するが、天正2年(1574)当時の神社の配置図では、規模を拡大して再建されたことがうかがえる。明治5年(1872)神仏分離により、天神社から菅原神社に名称が変わった。戦災で本殿を含みほとんどの建物が焼失。神域が縮小され、建物の配置も大きく変わった。拝殿は焼け残った建物の金比羅宮を流用している。


参考文献

『堺市史』第7巻,p.527-538
『元禄二己巳歳堺大絵図』、前田書店出版部、1977年
『堺の寺社建築』1、堺市教育委員会、2000年、p.66
『堺鑑』上、衣笠一閑、貞享元年(1684年)