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図書館トップページ> 地域資料のページ> Web版『堺大観』写真集>菅原神社本殿 |
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天文元年(1532)の火災で神社は全焼するが、天正2年(1574)当時の神社の配置図では、規模を拡大して再建されたことがうかがえる。明治5年(1872)神仏分離により、天神社から菅原神社に名称が変わった。戦災で本殿を含みほとんどの建物が焼失。神域が縮小され、建物の配置も大きく変わった。拝殿は焼け残った建物の金比羅宮を流用している。
『堺市史』第7巻,p.527-538
『元禄二己巳歳堺大絵図』、前田書店出版部、1977年
『堺の寺社建築』1、堺市教育委員会、2000年、p.66
『堺鑑』上、衣笠一閑、貞享元年(1684年)