図書館トップページ> 地域資料のページ> Web版『堺大観』写真集>菅原神社表門 |
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楼門内の左右には、木造彩色の隋身像が坐し、小西行長が奉納した傘松の幹がある。戦災でほとんどの建物が焼失した中、延宝5年(1677)榎並屋勘左衛門(えなみやかんざえもん)の寄進によって再建された仁王門(楼門)は焼失を免れた。位置は変わっていない。昭和41年(1966)、楼門は大阪府指定有形文化財となった。山之口筋は当時菅原神社の境内を通っており、手前の門と燈籠は現在東門に移っている。
『堺市史』第7巻,p.527-538
『堺市史』続編第2巻,p.593-594,p.1106
『堺市史』続編第3巻,p.396,p.430,p.889
『堺市史』続編第4巻,p.219
『堺の寺社建築』1、堺市教育委員会、2000年、p.66
『堺鑑』上、衣笠一閑、貞享元年(1684年)
『和泉名所図会』巻之一、秋里籬嶌、寛政7年(1795年)
『元禄二己巳歳堺大絵図』、前田書店出版部、1977年
「堺市実測地図 明治43年 1:6,000」、文岳堂編輯部、1910年