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慶応4年(明治元年)(1868)、フランス軍艦の水兵と、堺を警備していた土佐藩士とが衝突し、フランス兵に十数名の死傷者が出た。フランス側は当事者の処刑など五ヶ条の謝罪を要求。政府は警備隊長以下20名の切腹を命じ、切腹は妙国寺境内で行われた。凄惨な切腹に11名が切腹した時点で、フランス側の要望で中止となる。遺骸は宝珠院(ほうじゅいん)に葬られ手厚く弔われた。現在は宝珠学園幼稚園となっている。
『堺市史』第7巻,p.760-764,p.809-812