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図書館トップページ> 地域資料のページ> Web版『堺大観』写真集>本受寺内 西類子の墓 |
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陽光山本受寺(ほんじゅじ)は、寛正2年(1461)法華宗・本覚院日陽(ほんがくいんにちよう)の開基。西宗真(類子(るいす))は、徳川幕府より海外渡航の朱印を受けたびたび渡航し、徳川家康に海外の国状を報告していた。元和2年(1616)より堺に居住。本受寺は西家の菩提所となる。境内には巨大な五輪塔の墓碑があり、塔には法号東漸院宗真日源居士をはじめ、父(宋源)、母(妙信)、妻(養光院宋井)、妻の父(永徳)、母(妙崇)等の法号および没年が陰刻されている。
『堺市史』第7巻,p.694-695