堺市 図書館トップページ地域資料のページWeb版『堺大観』写真集>悲田院(北十萬) 
戻る
<< >>

1902年頃と2012年の写真

画像をクリックすると、拡大画像をご覧になれます。

1902年頃の写真 2012年の写真
撮影月日:2012年10月14日
撮影場所:堺市堺区錦之町東2丁2-8
山門を入り、東方向を向いて撮影

『堺大観』第6巻、p.12-14、上記写真はp.11-12間に掲載、明治35年前後

悲田院(北十萬)について

法護山悲田院(ひでんいん)北十萬(きたじゅうまん)と称し、延徳2年(1490)恩恵上人が開基。自ら阿弥陀経十巻を書写、十萬上人と呼ばれ、寺を十萬と称した。もと柳之町濱にあり四宇の坊舎を持つ二町四方(約6,000坪)の境内を有したが、天正の兵火で罹災し、その後現在地に再興された。本堂は昭和19年(1944)と戦後の2度再建されている。中央の三角の石碑は門を入って右手に移され、右側「熊野権現降臨地」の碑は現在不明となっている。


参考文献

『堺市史』第7巻,p.596-597