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法護山悲田院(ひでんいん)北十萬(きたじゅうまん)と称し、延徳2年(1490)恩恵上人が開基。自ら阿弥陀経十巻を書写、十萬上人と呼ばれ、寺を十萬と称した。もと柳之町濱にあり四宇の坊舎を持つ二町四方(約6,000坪)の境内を有したが、天正の兵火で罹災し、その後現在地に再興された。本堂は昭和19年(1944)と戦後の2度再建されている。中央の三角の石碑は門を入って右手に移され、右側「熊野権現降臨地」の碑は現在不明となっている。
『堺市史』第7巻,p.596-597