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図書館トップページ> 地域資料のページ> Web版『堺大観』写真集>高須稲荷 |
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鉄砲鍛冶(てっぽうかじ)芝辻理右衛門(しばつじりえもん)が元和5年(1619)に堺の鬼門に当るため勧請したのが高須稲荷である。写真の中央に拝殿、右奥が本殿である。明治44年(1911)に阪堺線が開通し境内を線路が通るようになった。昭和45年(1970)頃高速道路建設のために高速道路高架直近に立て替えられた。更に平成元年に公園拡張のため境内が縮小され、阪堺線沿いの現在位置に立て替えられた。写真の銀杏は現存しない。