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図書館トップページ> 地域資料のページ> Web版『堺大観』写真集>開口神社内 旧大寺の塔と牡丹 |
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神社境内に、僧・行基により念仏寺が建立され、開口神社というより「大寺(おおてら)さん」の愛称で呼ばれている。写真の三重の塔は、明治の廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)で念仏寺が廃寺になった後も、昭和まで残っていたが、昭和20年(1945)の堺大空襲で焼失した。塔があった場所は、神社南東部の稲荷社と神社南側のマンションの北東部近くにあった。宮司さんの話によると地下に礎石が残っているという。
『堺市史』第7巻,p.520
『元禄二己巳歳堺大絵図』、前田書店出版部、1977年
『開口神社と堺』、堺市博物館、2012年、p.23-24
『和泉名所図会』巻之一、秋里籬嶌、寛政7年(1795年)
『堺鑑』上、衣笠一閑、貞享元年(1684年)