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図書館トップページ> 地域資料のページ> Web版『堺大観』写真集>山之口筋 |
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山之口筋は文化・文政の頃から宿院あたりの芝居小屋等の賑いと共に発展してきた。この写真は宿院山之口角より撮影されたものである。明治30年(1897)頃の山之口筋の道幅は広いと感じるが、江戸・明治期の庶民の建物は軒高が低いことなどからそう見える。戦後、道路拡幅により写真右の「うどんそば」の店から4軒目ぐらい(ひとつ目の電柱あたり)まで「フェニックス通り」に含まれた。
『堺市史』第3巻、p.135
『岸谷勢蔵画堺市第1次疎開地区記録を読む』、堺市博物館、2011年、p.25,p.40
『堺市疎開地記録写真帳』、堺市、1945年
「堺大絵図 文久3年改正」、河内屋源七郎、1863年