図書館トップページ> 地域資料のページ> Web版『堺大観』写真集>顕本寺境内 三好海雲(元長)の碑並に海雲所用の鎗 |
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文亀元年(1501)阿波国に生まれた三好元長は長じて筑前守と称し、剃髪し開運(海雲)と号した。足利義維(よしつな)らを擁し「堺幕府」樹立に貢献したが主君細川晴元(はるもと)は元長を疎(うと)み、晴元に唆(そそのか)された本願寺一向一揆の大軍に包囲された元長は顕本寺で自害する。享年32歳。元長の墓は現在も「帰本 海雲善室大居士」と彫られ現境内に祀られている。元長所用の鎗は、当時の写真撮影時に添えたものであろうか。堺大空襲の折に焼失したものと思われる。
『堺市史』第7巻,p.24-26,p.681-683
「第二回 元長忌」、顕本寺、2013年