図書館トップページ> 地域資料のページ> Web版『堺大観』写真集>舳松神社 |
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舳松神社の号は、神功皇后が三韓から戻ったとき九艘の舟の舳(へさき)を繋(つな)いだ松を祀った松を「九本松の明神」といったという伝説に基づく。明治36年(1903)ごろには旭蓮社(ぎょくれんじゃ)境内の東北隅にあり、境内104坪あった。本殿の桁行(けたゆき)4尺(約1.2m)・梁行(はりゆき)4尺。幣殿(へいでん)は桁行5尺・梁行4尺。拝殿は桁行2間(約3.6m)・梁行1間の規模であった。明治40年5月、開口(あぐち)神社境内末社に合祀され、今は旭蓮社内にはない。