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資料でみる『ものづくり・堺』のあゆみ

銘酒の町・堺〜その足跡をたずねて 戻る

 堺でお酒が作られていた。〜今では醸造業として醤油や酢の会社があるものの、現在、堺では日本酒の生産は行われていませんし、堺の醸造家が移転した灘でも、堺の銘酒は作られていません。それでも堺の町を歩くと所々で、醸造家の名前や銘酒の看板を見つけることができます。町で見つけた「銘酒の町・堺」の足跡を写真で紹介します。中央図書館に近いところにありますので、一度訪ねてみられてはどうでしょうか。

『方違神社』(堺区北三国ヶ丘町)
 方違神社に酒造家・鳥井駒吉が、明治22年(1889)に建てた「三國丘」の大きな石碑があります。石碑の裏側には「耳原に来て鶯の初音かな」という句と「半静」という駒吉の号が刻まれています。 
 また、北側の鳥居は、宅徳平(銘酒「澤亀」の醸造家・鳥居駒吉と共同で酒造を行う他に、協力して阪堺鉄道や大阪麦酒などの事業を行った)が明治42年に奉納とあります。 

『開口神社』(堺区甲斐町東)
 神社の周りにある寄進を行った人の石碑の中に「新泉酒造(戦後最後となった堺の酒造会社)」や「鳥井駒吉」の名前を見つけることができます。

『龍神堂』(堺区栄橋町)
国道26号線の脇の龍神堂にある、昭和8年(1933)に建てられた「龍神堂記」に、旭館の謂(いわ)れが記されています。龍神堂は、今も地元の人たちによって大切に守られています。

  

『堺の銘酒の看板』
 かつては堺市内のあちこちで見かけることがありましたが、今はほとんど見ることはありません。堺区中瓦町にある高橋酒店の看板は、左から「新泉(戦後堺の銘酒)」「アサヒビール(堺の酒造家・鳥井駒吉創業)」「金露(大塚合名会社・戦後も灘で作られた著名な銘酒)」です。もうひとつの金露の看板は、九間町西にあります。

「堺の銘酒の広告」
(『堺市商工案内』大正11年・1922より)
 これらの銘酒は、堺はもとより、日本国内各地やアジアの主要都市に支店が置かれ、販路が大きく拡大していることがわかります。また醸造場が灘にもあり、堺の酒造が灘に移りつつある様子を知ることができます。

『宮水発祥之地』西宮市久保町
 宮水は、江戸時代後期に西宮で発見されました。六甲山地からの伏流水で、鉄分が少ないために味や香りを悪くすることはなく、また発酵に必要なリン、カリウムを豊富に含んだ硬水で、酒造りのために最も適した水です。堺では水源が枯渇して、水質も悪化したので、この宮水を西宮から購入していました。明治から大正にかけて、堺の酒の3分の1は、この宮水によってつくられたと考えられています。

宮水については環境省ホームページの名水百選に詳しくのっています。
http://mizu.nies.go.jp/meisui/data/index.asp?info=57


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