堺市 図書館トップページ地域資料のページデジタル郷土資料展目次> 明治大正時代の堺・観光 
戻る

明治21年(1888)、堺の吾妻橋駅(現在の南海本線・堺駅)に鉄道が開通しました。駅を起点に人力車が堺市内を見物に回ったようです。(『八木摩天郎遺稿集』より)

 明治の後半には、高野鉄道(南海高野線)や阪堺電気軌道が開通し、明治36年(1903)の第五回内国勧業博覧会で大浜に東洋一の水族館が完成しました。


『堺名所案内』
写真:堺名所案内 表紙

明治28年(1895)中井芳瀧(恒次郎)[1841-1899]の作です。芳瀧は、役者絵や風景画(『浪花百景』等)を描いた最後の上方浮世絵師といわれた大阪の絵師で、晩年は堺に住んでいました。

神社仏閣の他、開通したばかりの吾妻橋駅(現在の南海本線・堺駅)や名産品が描かれ、西洋を意識してか、図版にはローマ字でも地名が書かれています。

写真:堺名所案内 奥付
『堺名所案内』表紙、奥付
写真:堺名所案内 堺市地図
『堺名所案内』堺市地図
写真:堺名所案内 妙国寺
『堺名所案内』妙国寺

『堺名勝案内』
写真:堺名勝案内 表紙 写真:堺名勝案内 堺市地図

明治36年(1903)に大阪で発行されました。この年は、内国勧業博覧会が大阪(堺の大浜も第2会場として水族館が建てられました)で開催されました。堺でも『堺市案内記』が出版されています。

『堺市案内記』については、詳しくは当デジタル郷土資料展「『堺大観』と明治の堺」をご覧ください。

写真:人力車運賃表
人力車運賃表 拡大図はこちら
写真資料:堺大濱公園川芳樓、堺大濱公園地川芳温泉場
上:堺大濱公園川芳樓
下:堺大濱公園地川芳温泉場
写真資料:堺大濱公園地川芳西洋館、濱寺公園地川芳樓
上:堺大濱公園地川芳西洋館
下:濱寺公園地川芳樓
写真資料:南宗寺 宿院 南宗寺利休茶室 山之口筋
左上:南宗寺         右上:宿院
左下・南宗寺利休茶室   右下:山之口筋
写真資料:方違神社 仁徳天皇御陵 反正天皇御陵 万代八幡宮
左上:方違神社     右上:仁徳天皇御陵
左下:反正天皇御陵  右下:万代八幡宮
写真資料:堺大濱公園 水族館 大濱海岸 同底園の噴水
左上:堺大濱公園   右上:水族館
左下:大濱海岸     右下:同底園の噴水
写真資料:開口神社 菅原神社 祥雲寺五葉松 大小路筋
左上:開口神社      右上:菅原神社
左下:祥雲寺五葉松   右下:大小路筋
写真資料:家原文殊 濱寺公園地 住吉神社反橋 大鳥神社
左上:家原文殊      右上:濱寺公園地
左下:住吉神社反橋   右下:大鳥神社
写真資料:土洲十一士の墓 龍神長遊郭 高須稲荷神社 妙國寺蘇鉄
左上:土洲十一士の墓  右上:龍神長遊郭
左下:高須稲荷神社    右下:妙國寺蘇鉄

堺名所

『浪花土産阪堺名所図会』の名で、明治36年(1903)1月20日発行とあります。

大阪や堺の当時の観光地が多数描かれ、堺では大浜公園、仁徳天皇陵、妙国寺、南宗寺などに多くの人が訪れていたようです。

画像:浪花土産阪堺名所図会表紙
画像:浪花土産阪堺名所図会1
画像:浪花土産阪堺名所図会2
『浪花土産阪堺名所図会』

大魚夜市と鯛
写真:2007年の大魚夜市

堺では、古来より漁業が盛んで、江戸時代、桜鯛は堺一の名物といわれていました。

ところで7月31日は、大浜公園で恒例の大魚夜市が開かれます。鎌倉時代に作られた魚座が「夜市」の起源といわれ、住吉大社は、海や漁業の神様として堺の漁民から信仰されていました。住吉大社の大祭の日に合わせ、毎年この日に行われます。また夜市では、タコを主に売っており、柳之町西3丁には、「たこ市場跡」の碑が立っています。

写真:たこ市場跡の碑
 
画像:堺浦魚市(『和泉名所図会』)
堺浦魚市(『和泉名所図会』)
画像:大浜魚市夜之景(『堺名所案内』)
大浜魚市夜之景(『堺名所案内』)
画像:『住吉・堺名所并ニ豪商案内記』より1
画像:『住吉・堺名所并ニ豪商案内記』より2
画像:『住吉・堺名所并ニ豪商案内記』より3
画像:『住吉・堺名所并ニ豪商案内記』より4
大魚夜市(『住吉・堺名所并ニ豪商案内記』)
画像:『住吉・堺名所并ニ豪商案内記』より5
画像:『住吉・堺名所并ニ豪商案内記』より6
大魚夜市(『住吉・堺名所并ニ豪商案内記』)

南海電車
画像:南海電車のパンフレット

大正から昭和の戦前頃のパンフレットは、南紀の観光案内のほか、沿線のスキー場や狩猟場が紹介されています。特に狩猟ができる場所として、高野線の堺東附近も紹介されていて、時代の大きな変化を感じます。