図書館トップページ> 調べもののページ> 「図書館で解決!?」第33号 伊東静雄 堺に住み、堺をうたった詩人 |
「わが死せむ美しき日のために/連嶺の夢想よ!汝が白雪を/消さずあれ」(曠野の歌)、「今歳水無月のなどかくは美しき。/軒端を見れば息吹のごとく/萌えいでにける釣しのぶ」(水中花)。伊東静雄は、日本語の響きの華麗さと、思索の深さをあわせもつ独自の世界により、今なお多くのファンを持つ詩人ですが、後半生は現在の堺市堺区・美原区に在住し、その風景をうたった多くの作品をのこしています。
「中学生が読んでも文意は辿れるものでなくてはならぬ」(書簡より)と書いた伊東静雄ですが、特に初期の作品のなかには、文意を理解するためには何度も読む必要がある詩があります。以下の資料は伊東静雄の詩を理解するための一助となります。
従来恋愛詩とみられていた第1詩集『わがひとに与ふる哀歌』を「私と「私の半身」との対話」と独自に読み解き、各篇を収載順に註釈したもの。
島崎藤村から中原中也まで、戦前の近代詩について自身の感想を綴ったもの。三好達治は伊東静雄の戦後の作品を評価しており「訪問者」「夕映」が取り上げられている。
愛唱者の多い「水中花」について、鶴ヶ谷真一の『紙背に微光あり』(平凡社)、木田元の『詩歌遍歴』(平凡社)、小川和佑の『花とことばの文化誌』(アーツアンドクラフツ)が、詩の理解や鑑賞に役立ちます。
「書簡と作品から見た伊東静雄」という副題通り、伊東静雄の大学時代から病没するまでの生涯を、「書簡と作品」を軸に克明に描き出した伝記。800ページを超える大作だが、コンパクトなものに、同じ著者による『詩人伊東静雄』(新潮社)がある。
文学者・評論家・伊東静雄が教鞭をとった住吉中学校の卒業生などによる伊東静雄についての評論・回想を収録。萩原朔太郎・保田與重郎から、庄野潤三・島尾敏雄・三島由紀夫まで、同時代の文学者が伊東静雄をどう評価していたか、あるいはどのような影響を受けたかがわかる。
東日本大震災後の2011年6月に水戸で行われた講演録。小説家自身の実生活と伊東静雄の詩とのつながりについて語っている。
大江健三郎は、十代の頃に伊東静雄の詩「鶯」と出会ったエピソードを『僕が本当に若かった頃』、『新年の挨拶』などの小説に繰り返し書いています。
故郷諫早を生涯愛した伊東静雄を、同郷の野呂邦暢が諫早の側から見つめた随筆。同じテーマを持つ作品に、「詩人の故郷」(『野呂邦暢作品集』所収)がある。
伊東静雄の住吉中学校での教え子であり、伊東静雄の晩年まで交流を続けた著者による回想録。自伝的作品「前途」(『庄野潤三全集第7巻』所収)にも恩師伊東静雄との交流が描かれている。
伊東静雄は昭和11(1936)年末に大阪市内から堺市北三国ヶ丘町(現・堺市堺区)に移り住み、昭和20(1945)年7月の堺大空襲で自宅が罹災したあとは、現在の堺市美原区にあたる南河内郡平尾村菅生、さらに黒山村北余部に転居しました。詩集『夏花』、『春のいそぎ』は北三国ヶ丘町時代の作品で、「春の雪」「わが家はいよいよ小さし」などでは反正天皇陵が詠み込まれています。また詩集『反響』の「小さい手帖から」と題された10篇は美原時代の作品で、野、灌漑水路、溜池など、美原を特徴づける田園風景がうたわれています。
明治39(1906)年12月10日、現在の長崎県諫早市に生まれる。大村中学校、佐賀高等学校を経て、京都帝国大学文学部国文科に進む。在学中の昭和3(1928)年、懸賞募集児童映画脚本の童話『美しき朋輩達』が一等当選となり映画化される。
大学卒業後、住吉中学校(現住吉高等学校)に就職し、終生教職を離れなかった。教え子に小説家の庄野潤三、ノーベル化学賞受賞者の下村脩がいる。
昭和7(1932)年、友人等と同人誌「呂」を創刊。同誌に発表した詩が、保田與重郎、萩原朔太郎に認められる。昭和10(1935)年、第1詩集『わがひとに与ふる哀歌』を出版する。
昭和11(1936)年、堺市北三国ヶ丘町に転居。この地で『夏花』、『春のいそぎ』の2つの詩集が生まれる。
昭和20(1945)年7月の堺大空襲で、家財の大半と書籍の全部を失い、家族の疎開先である現在の美原区へ移る。
昭和22(1947)年、詩集『反響』を出版。翌年、学制改革のため、府立阿倍野高等学校に転勤。
昭和24(1949)年、肺結核を発病、国立大阪病院長野分院に入院。4年に近い闘病生活ののち、昭和28(1953)年3月12日、永眠。
収録作の大部分が堺市北三国ヶ丘町時代の作品。21篇を収録。 序文つきの詩「水中花」「朝顔」、また「燕」「八月の石にすがりて」など、文語による創作が増える。
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