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1902年頃と2012年の写真

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1902年頃の写真 2012年の写真
撮影月日:2012年7月8日
撮影場所:堺市堺区宿屋町東3丁2-40
本堂南東手前西類子の墓の東側より撮影

『堺大観』第6巻、p.39-48、
上記写真はp.24-25間に掲載、明治35年前後

本受寺内 西類子の墓について

陽光山本受寺(ほんじゅじ)は、寛正2年(1461)法華宗・本覚院日陽(ほんがくいんにちよう)の開基。西宗真(類子(るいす))は、徳川幕府より海外渡航の朱印を受けたびたび渡航し、徳川家康に海外の国状を報告していた。元和2年(1616)より堺に居住。本受寺は西家の菩提所となる。境内には巨大な五輪塔の墓碑があり、塔には法号東漸院宗真日源居士をはじめ、父(宋源)、母(妙信)、妻(養光院宋井)、妻の父(永徳)、母(妙崇)等の法号および没年が陰刻されている。


参考文献

『堺市史』第7巻,p.694-695