堺市 図書館トップページ地域資料のページWeb版『堺大観』写真集>高須稲荷 
戻る
<< >>

1902年頃と2013年の写真

画像をクリックすると、拡大画像をご覧になれます。

1902年頃の写真 2013年の写真
撮影月日:2013年1月7日
撮影場所:堺市堺区北半町東3-5
堺区北旅籠町東2丁2の砂道翁橋線歩道より北方向を撮影

『堺大観』第6巻、p.11、上記写真はp.11-12間に掲載、明治35年前後

高須稲荷について

鉄砲鍛冶(てっぽうかじ)芝辻理右衛門(しばつじりえもん)が元和5年(1619)に堺の鬼門に当るため勧請したのが高須稲荷である。写真の中央に拝殿、右奥が本殿である。明治44年(1911)に阪堺線が開通し境内を線路が通るようになった。昭和45年(1970)頃高速道路建設のために高速道路高架直近に立て替えられた。更に平成元年に公園拡張のため境内が縮小され、阪堺線沿いの現在位置に立て替えられた。写真の銀杏は現存しない。


参考文献

『堺市史』第2巻,p.544-546
『堺市史』第4巻,p.638
『堺市史』第5巻,p.1168
『大阪府航空写真シリーズ』、大阪府、1987年
『和泉名所図会』巻之二、秋里籬嶌、寛政7年(1795年)
『伸びゆく錦綾〔堺市立錦綾小学校〕50周年記念誌』、堺市立錦綾小学校50周年誌事業委、1978年
『大阪府全志』巻5、清文堂、1922年
『海遊都市』、橋爪紳也、白地社、1992年