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古地図に見る大和川

付け替え前の大和川は、現在の柏原市付近で石川と合流後、北または北西に枝分かれして、八尾・東大阪・大東市を横切り、大阪城の北で淀川と合流していました。

付け替え後間もない頃から、大和川は堺の絵図に描かれてきました。現在、大和川は大阪市との境界になっていますが、明治に入るまで摂津と和泉の国境は、堺の大小路筋でした。明治4年(1871)7月、当時の堺県が国境を大和川に定め、そのまま現在にいたっています。


堺市古図 宝永元年(1704)明治34年(1901)印刷
写真:堺湊土砂埋没状況図(写)
大和川付け替え当時の堺の絵図で、明治の頃に模写されたものです。


摂州泉州堺町之図(写) 文化2年(1805)
写真:摂州泉州堺町之図(写)
付け替え後100年が経過した堺の絵図です。この頃までに戎島が出現し、港の形が変わっていきました。


文久改正堺大絵図(『堺市史』付図) 文久3年(1863)
写真:文久改正堺大絵図
幕末の頃の堺の絵図です。新田が開発され、堺旧港が作られ港の形は大きく変貌しました。


大和川之図(写)
写真:大和川之図(写)
付け替え後間もない頃の大和川の絵図で、物資の輸送ルートを描いたものではないかと考えられています。


大和川沿村支配絵図(写)
写真:大和川沿村支配絵図(写)
江戸時代にどこが大和川を管理していたかを記した絵図です。堺奉行所の支配が堺周辺のみならず河内に及んでいたことがわかります。


遠里小野村大絵図(写) 安永7年(1778)
写真:遠里小野村大絵図(写)
大和川付け替えによって村が分断される様子がはっきりわかる絵図です。遠里小野(おりおの)は現在も大阪市住吉区、堺市にそのまま地名を残しています。
(※この絵図は図面の北を上にしています)


住吉神社境内領地絵図(写)
写真:住吉神社境内領地絵図(写)

上記「遠里小野村大絵図」より西側の絵図です。

住吉神社の領地が川で分断される様子がわかります。

大和川の付け替え前は、住吉神社と堺が地続きであったため、住吉神社は堺の人々の信仰を集めました。

(※この絵図は図面の北を上にしています)



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